ステレオ歴史探訪(5)「おごれる人も久しからず~関門海峡」(後編)
NHKの大河ドラマ。
前作の「武蔵」の巌流島、今作の「新撰組!」の幕末長州、次作の「義経」の壇ノ浦合戦と、いずれでも重要な舞台となる関門海峡の下関側の史跡を訪ねる旅。
後編です。
1185年3月24日の源平壇ノ浦の合戦では、800艘とも3000艘ともいわれる船が、この狭く急な海峡で最後の戦いをくりひろげました。
当初優位に戦いを進めていた平家は、潮の流れの逆転とともに劣勢に転じ、源義経の率いる源氏に追いつめられ、遂に滅亡の時を迎えます。
平家一門と運命をともにした安徳天皇を祀る赤間神宮。
この水天門が鮮やかな竜宮造りになっているのは、わずか8歳だった安徳天皇を 抱いて入水する二位ノ尼が「海の底にも都がありますよ」となだめたことによります。
亡霊たちに取り憑かれ、平家一門の墓の前で夜な夜な「平家物語」語った琵琶法師芳一。
厄除けのお経を全身に書きましたが、耳に書くのを忘れ、亡霊に取って行かれてしまいます。
その平家一門の武将を祀る墓。七盛塚とも呼ばれます。
昼間でも暗く静かで、亡霊が漂っていそうな雰囲気でした。
この辺りでは勝った源氏よりも、滅びた平家の方が圧倒的に厚く祀られています。
滅びた者への哀れみ、怨念への畏れもありますが、落人となった平家の末裔が多く住んだこともあるのでしょう。
赤間神宮に隣接する「春帆楼」(しゅんぱんろう)では、明治28年(1895)、日清戦争の講和会議が開かれ、清国の李鴻章と日本の伊藤博文の間で日清講和条約(下関条約)が締結されました。
日清講和記念館には、会議で使用された調度品が展示されています。
が、こちらの歴史にはあまり馴染みもなく、
ただ、ステレオ写真の素材としての興味しか沸きませんでした。
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