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2006/05/29

ステレオ歴史探訪(10) 八幡製鐵鉱滓鉄道くろがね線

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ちょっと前になりますが、先週の日曜日、でぱいゆさんから教えてもらった枝光の宮田山トンネルに行ってきました。

八幡製鐵専用の鉱滓鉄道くろがね線。
住宅街の中に、突然ギリシャ建築風のトンネルが開いているのは、まるでタイムトンネルのようです。

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スペースワールドからは、新アトラクション「ザターン」の絶叫が遠く聞こえてきます。

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トンネルと八幡製鐵所をつなぐ鉄橋は、トラス橋とアーチ橋が並走していますが、かつては路面電車もこの下をくぐっていたこともあって、陸橋にしては巨大です。
トラス橋の方は、今でもゆっくり走る貨物列車をたまに見ることがありますが、アーチ橋のほうは、今では線路が取り払われ、パイプが走っています。

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コメント

くろがね線…今や産業遺跡なんでしょうか?
すごいですね、1枚目のトンネルの造り。
製鉄が花形産業だった頃の力を感じますね。

投稿: pogetaro | 2006/05/30 22:26

く、草があ~。えーい、後で焼き払ってやる(by ムスカ)
ここまで、みっちりとツタに覆われると、セーテツが過去のものになった感じがします。

宮田山トンネルレポートありがとうございました。
中に入ってみたい気もしますね。

投稿: でぱいゆ | 2006/05/30 23:16

>pogetaroさん
普段よく通る道路の上に、ズシーンと覆いかぶさるように走っている鉄橋が、八幡製鐵所専用のものということは、今回初めて知りました。
そして、それがこんなトンネルにつながってることも。

>でぱいゆさん
たしかに、ラピュタの世界のように草生していましたが、トンネルの脇の道を車で走っていると、貨物列車がとてもゆっくりしたスピードで出てきて、鉄橋を渡っていきました。
しっかり、現役なんだなと、ちょっと嬉しかったです。

投稿: 二つ目草 | 2006/05/31 00:16

市内にこんな光景が残っているとは・・。
ちょっと驚きですね。しかも現役というのがまた凄い。

レトロといえば門司港レトロや若松などが有名ですが、探せば
まだまだ色んなレトロがあるのですね。河内貯水池も凄かった
し・・。(^^)

無名なレトロを探す旅っていうのも楽しそうです。

投稿: wanwanmaru | 2006/05/31 21:00

>wanwanmaruさん
遺産となってしまわず、現役で動いていることが、いいですよね。
そういう、長く働いていけるものを作った昔の匠たちって、本当にすばらしい。
近所で生活する人たちにとっては、このトンネルが日常の風景の中に、何十年も変わらずに生きてくれていることは、心の拠り所になっているでしょうね。
私にも、地元にそういう場所を持っていますが、久しぶりに帰った時に、変わらずにあると、心が落ち着きます。

投稿: 二つ目草 | 2006/06/01 18:30

私にとっては、この鉱滓線ののんびりとした貨物列車の往来が、懐かしいなあ。
昔は、複線だったんですよ。

投稿: でぱいゆ | 2006/06/02 00:15

>でぱいゆさん
新しいものの代表として急速キリモミ落下する「ザターン」を遠景に入れてみましたが、スペースワールドの辺りは今めまぐるしく変わろうとしています。
大型ショッピングセンターの骨組みが建ち上がっていましたが、そこに表れる風景は、今、全国の郊外のどこにでも見られる景色になるのでしょう。
すぐ隣にあるこの枝光は、貨物列車の運行のように、コットンコットンとゆっくり時間が流れていました。
そして、このトンネルや鉄橋のある風景は、ここにしかない景色です。

投稿: 二つ目草 | 2006/06/02 01:22

スペースワールド周辺で去年の5月、道に迷いました。
ハードウエアはどんどん新しくなっていくけど、
人影が少ないような気がするのが、ちょっと寂しいです。

投稿: でぱいゆ | 2006/06/03 22:54

そういえば、うちの親は、「炭滓線(たんさいせん)」って呼んでたなあ、この鉄道。

投稿: でぱいゆ | 2006/06/03 22:56

>でぱいゆさん
昨日の夕方、トンネルの反対側を見てきました。
東向きの出口は山影になって暗く、写真を撮ることはできませんでしたが、石造りの建物全体が草に覆われて、元の姿が分からないくらいでした。
「炭滓」、「鉱滓」どちらの呼び方もあるようですが、「滓」というのは「カス」の意味のようですね。
「カス」じゃないものも運ばれていたはずなのに、どうしてこんな名前をつけたのでしょうね。

投稿: 二つ目草 | 2006/06/04 13:59

戸畑側に行かれたんですね。東向きなので、朝が勝負ですね。

この鉄道は、八幡製鉄所の「カス」を戸畑の埋立地に運ぶために作られたものらしいですよ。

投稿: でぱいゆ | 2006/06/05 01:51

>でぱいゆさん
河内ダム堰堤の石積み同様、宮田山トンネル戸畑口も、撮るなら朝です。

なーるほど!元々埋め立てに使うためだったのですか。
今では製鉄所の主力がその埋立地にできた戸畑側に移っていますから、鉄道の利用目的も変わっているのでしょうね。

投稿: 二つ目草 | 2006/06/05 01:59

みなさん、はじめまして。
くろがね線の建造物、興味深く拝見しております。石に蔦が絡み付いていると、私もラピュタを思い出してしまいます(^^;) この路線で動いている列車や車両については、私のブログで詳しく解説しておりますので、お時間がありましたらぜひお越しくださいませ。お待ちしております。
ではでは。

投稿: 社長 | 2009/09/04 19:25

>社長さん
ブログを拝見しました。
大変豊富な情報に驚きました。
まだ、ざっと眺めさせていただいただけですが、鉱滓あるいは炭滓の運搬が主なのかと思っていましたら、
様々な機能があり、それに応じた装備もいろいろあるのですね。
偶然機関車が通るのに遭遇することがあるのですが、
ゆっくりゆっくり重そうな貨物を運ぶ姿に味わいがありました。
トンネルの造形も、当時の八幡製鉄所の力を感じられる重厚な作りですね。
最近アーチ橋の下を久しぶりに通りましたら、ペンキが塗り直されてきれいになっていました。

投稿: 二つ目草 | 2009/09/04 19:47

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