「塩の道」と「砂糖の道」
松本駅からの眺め
今週の後半は研修で長野県北安曇郡に行っておりました。
長野県の松本と新潟県の糸魚川を結ぶJR大糸線を利用しましたが、この路線に沿って、かつて千国街道という街道がありました。
アルプスの山間を抜ける険しい山道ながら、日本海の塩や海産物と、信州の農産物とが行き来する重要な道で、「塩の道」とも呼ばれるそうです。
越後の上杉謙信が、甲斐・信濃の武田信玄に対して、「敵に塩を送」ったのも、この道を通じてでした。
JR大糸線の車窓から
大糸線の鈍行列車でこの「塩の道」を北上していると、美しいアルプスの峰々を背景に、雪解けの清んだ水をとうとうと湛える川や湖、森や畑の緑が続きます。
ちょうど朝の通学通勤の時間帯でしたが、高校生たちは、この車窓の価値を大人になってから初めて気付くのかもしれません。
精密機械工場で働くのでしょうか、外国人の姿も目立ちましたが、自国に帰っても、この車窓が日本の風景として記憶に残ることでしょう。
OptioS5nを片手に「塩の道」を歩く。
夕方には、ホテルの近くの「塩の道」を散策してみました。
太陽はアルプスの向こう側に落ちようとしています。
辺りは静かで、畑の間の小さな側溝に注ぐ、豊富な清流の音が聞こえるばかりでした。
水の流れる傍らには、必ず何かしらの花が植えてあり、かつては厳しかった「塩の道」も、今は心休まる街道となっていました。
さて、「塩の道」と聞いて、思い浮かぶのは、当ブログでも再三取り上げている、「長崎街道・シュガーロード」。
時代も違いますし、生命の糧である「塩」と、贅沢品の「砂糖」という点も対照的ですが、今回の旅で、実は「塩の道」は「シュガーロード」のある北部九州にまでつながっていることを知りました。
こんな日本の真ん中の、最も内陸といえるような安曇の地に勢力を持った安曇族は、なんと元々は北部九州(糟屋郡という説がある)の海人族であり、日本海を北上し、「塩の道」を南下して、この地に入ったのだそうです。
以前、宗像や鐘崎を調べた時に、いにしえの宗像海人や鐘崎海人の行動エリアがとてつもなく広大で、遠くは能登半島にまで及んだことを知りましたが、彼ら海人たちのパワーに改めて感心したのでした。
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コメント
へえ~、いいところで研修があるんですね~。羨ましいです。
私は研修というと博多ばっかり・・。
山の上には雪が積もってるし、眺めも雄大だし、九州と違った
雰囲気でいっぱいですね。
宗像海人や鐘崎海人の話、ちょっと驚きです。まさかあんなに
遠いところまで行動範囲が及んでいたとは・・。こういう歴史
を調べるのも面白いですね。
投稿: wanwanmaru | 2006/05/29 20:49
>wanwanmaruさん
こんな場所での研修は初めてのことでしたが、この地を訪ねたのは学生の時以来でしたので、あまり変わっていない様子が、懐かしくもありました。
険しくそびえるアルプスの連山は、ほんとうに、九州の山とは全く違いますねー。
安曇野にある穂高神社で、看板に、安曇族は北九州からやって来たと書かれているのを発見して、なんとこんなところまで来ていたのかと驚きました。
新幹線と在来線でたどり着くのに正味7時間かかり、その遠さを実感してたのでとくに。
投稿: 二つ目草 | 2006/05/29 23:04