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2007/06/02

ステレオ歴史探訪(14) 宗像海人の眠る宮地嶽と相島

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ステレオ写真(平行法)

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博多のヨドバシカメラにでも行こうかと国道3号線を西へ。
ふと海が見たくなり道を外れ、さらに気が変わって、そういえばまだ行ったことがなかった宮地嶽(みやじだけ)神社に。

開運商売繁盛で人気の神社だけあって、日本一の大注連縄、日本一の大太鼓、日本一の大鈴が目を引き、境内は菖蒲祭り開催中(まだ3~5分咲きといったところか)。
創建は約1600年前、第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母とされる神功皇后を主祭神とし、随従の勝村・勝頼大神を併せ、宮地嶽三柱大神として祀っている。
これは、神功皇后が応神天皇を宿しながら、この宮地嶽から玄界灘を臨んで祈願し、朝鮮半島に向け出兵したという言い伝えに基づいているが、諸説あって、実在の人物かどうかを含め、史実ははっきりしないらしい。
本殿の裏にはそれぞれご利益が異なる小さな社が8つあり、この奥の宮八社めぐりをすると大願成就するとか。

参拝が終わって、本殿を後に鳥居をくぐろうとして、その光景に驚いた。
神社からの参道は海までまっすぐ伸びていて、さらにその延長線上には相島(あいのしま)が浮かんでいるのだった。
九州朝日放送の「るり色の砂時計」で先々週放送された「新宮町から福岡市。いにしえの旅」に取り上げられていた相島である。
この相島の海岸は一見変哲のないゴロ石の海岸に見えるが、実はこれは積石古墳であり、朝鮮半島由来の出土品などから、宗像海人の墓と考えられているのだそうだ。

そして、相島を正面に望むこの宮地嶽神社の境内にも、実は九州最大の横穴式石室をもつ宮地嶽古墳がある。
石室は長さ23mもあり、有名な奈良県明日香村の石舞台古墳にも勝る規模。
国宝にも指定されている副葬品は、朝鮮半島や中国大陸などとの交流をしめすもので、この古墳も海を行き来した宗像族の、しかも首長級の墓と考えられている。
今回は気まぐれに訪れたので、古墳の場所を確認することができなかったが、奥の宮八社の中の三番社、不動神社の奥にこの石室が隠されているのだそうだ。
「7月28日夏季大祭には、参拝者は石室に入る事が許されており、石室殿内参拝をする事ができます。」

参道を下り海岸に出たところにも、海に面した宮地嶽神社の鳥居があるが、かつては相島との間の海上にも鳥居が立っていたのだそうだ。
今、改めて地図を見てみると、宮地嶽も相島も地理的に対外的な要所であることがうかがえる。
いつか相島の積石古墳と宮地嶽古墳の石室参拝にも訪れたいものだ。

追記:その後行ってみました。 
ステレオ歴史探訪(16) 宮地嶽古墳と相島積石塚群(前編)
ステレオ歴史探訪(16) 宮地嶽古墳と相島積石塚群(後編)

《その他の海人族関連》
ステレオ歴史探訪(1)「宗像海人と海の正倉院」
みあれ祭 宗像三女神集結
ステレオ歴史探訪(2)「ちはやぶる鐘の岬」
ステレオ歴史探訪(4)「いにしえの神霊的防衛拠点と遠距離悲恋物語」
海で拾った神さま
「塩の道」と「砂糖の道」
なんじゃもんじゃと雨のこどもの日

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コメント

私もまだ宮地嶽神社、行ったことがありません。
是非この相島に伸びる軸線を体感してみたいと思います。
それを体感することは、半島と北部九州とのつながりを体感することで
それはまた、現代と古代のつながりを体感することだと思っています。

最近少しずつ、北九州のことを知るにつれ「隠された真実」がいかに多いか、
そのために地元の良さがどれだけ見過ごされているか
という思いが強くなりました。

投稿: 赤か毛 | 2007/06/03 11:36

>赤か毛さん
宮地嶽神社は人気のある神社だけあって、施設も立派ですし、サービス精神旺盛で、ちょっとしたレジャー気分になれる神社でしたが、その底に隠されたようにある、いにしえの宗像海人の大きな存在を感じ取ることができました。
神功皇后の伝説も、長い歴史の中で政治的に利用された場面も多かったようで、どちらかの立場に則って言及するのもはばかられますが、少なくとも存在したことは確かな宗像海人と、大和朝廷や大陸・半島との関係は実のところどうだったのか、作為的な(?)謎に包まれていそうですね。

投稿: 二つ目草 | 2007/06/03 15:32

ここからの相島は左側に眼鏡岩が見えてるようですね。新宮から見ると、たしか右側。
古代より大陸、半島と玄海沿岸とは荒波に遮られながらも関係が続いているようで、その歴史の断片があちこちに残っているようですね。

こちらのブログや「赤か毛」様のブログをみて地元を再発見し、週末には今一度訪ねたりしています。

投稿: hima_jiji | 2007/06/03 20:01

>hima_jijiさん
相島は2週間前にテレビで見て初めてその存在を知り、こんなところにも古代の海人族の活動の証拠が眠っていることに感動しました。
眼鏡岩は海人たちにとっても海の目印になっていたのでしょうかねえ。

古墳などはまったく興味を感じていなかったのですが、いろいろ調べていくうち、そこに生きていた人々の姿が想像できるようになってくると、面白く感じられるようになって来ました。

投稿: 二つ目草 | 2007/06/03 20:24

相島をバックにしたカット、モノクロのいい雰囲気がでているとおもいます。我が家の近くの海では、コンビナートかなあ。ちょっとこの雰囲気とは程遠いような。。。

投稿: qchan | 2007/06/14 12:40

>qchanさん
その写真は、モノクロにすると、ちょっと植田正治の砂丘シリーズっぽくなりました。
湾岸の工場群も面白いモチーフなので、写真にしたいですね。

投稿: 二つ目草 | 2007/06/15 08:15

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