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2007/07/29

ステレオ歴史探訪(16) 宮地嶽古墳と相島積石塚群(前編)

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先日の記事「宗像海人の眠る宮地嶽と相島」での宿題を果たしてきました。
福津市にある宮地嶽神社。
その本殿の裏手にある奥の宮不動神社は今は不動明王が祀られていますが、実はその社殿の奥には日本最大級の巨石古墳が隠されているのです。
石室の中が公開されるという1年に数回だけの機会に、再びここを訪れました。

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賽銭箱の脇から社殿の中に入ると、正面に石室に続く入り口があります。

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ステレオ写真(平行法) クリックで交差法

石室の手前は巨石を積んだ細長い石の廊下になっていました。

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ひんやりと冷たい巨石の壁。
炎天の外が嘘のように、涼しい石室の中です。

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最深部には宗像族の首長と考えられている古墳の主の石棺が納められていたようです。
古墳時代に、数十トンある巨石をどうやって運び積んだのか。
この古墳からは大陸や半島とのつながりと示す金銅製品やガラスなどの副葬品が出土し、国宝に指定されています。
宗像族の強大な勢力をうかがい知ることができました。

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奥の宮からさらに登り、宮地山頂の古宮跡を訪ねました。

『古宮の由緒』 今を去る、千六00年余り前息長足比売命(神功皇后)は、この地、宮地嶽山頂に於いて八百万の神々に「天命を奉じてかの地へ渡らむ希わくば開運を垂れ給え」と祈願され大陸へ出帆されました。皇后の余りにも有名不可思議な御偉業を称え、ここに御祭神として祀り宮地嶽神社が創建されました(現地の解説より)

うっそうと茂る木々のために海のほうは見ることができませんでしたが、玄界灘に臨む小高い山であるここは、かつては海を監視する場所であったはずです。
神功皇后が実在したかどうかは明らかでなく、いくつかの事実が組み合わされて伝説が作られたと考えられています。
古墳の存在からも、この近辺の海人族の活躍が、神功皇后伝説の一部を成しているのは間違いないなと確信しながら山を降りました。

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もう一つの宿題を求めて、旅は後編に続きます。

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コメント

これは凄い遺構ですね!
宮地嶽がこんなに凄い場所だとは、本当に知りませんでした。
二つ目さんのレポートで知る、北部九州はシュガーロードと言い、
宗像族と言い、ほんとうに魅惑的で、想像をかき立て、
そして新たな九州像を描かせてくれます。
私も、次回の石室公開に行ってみたいと思います。


投稿: 赤か毛 | 2007/07/31 16:03

>赤か毛さん
先日、九博の常設展で、ここから出土した7世紀頃の副葬品を見ました。
ヤマト政権のものとは別の流れとなる高句麗系の冠などで、国宝に指定されています。
ここに埋葬されたと考えられている胸形君徳善は、ヤマト朝廷とは異なる独自の外交ルートを持ちながら、その娘は大海人皇子(後の天武天皇)に嫁がせたりと、大陸・半島とヤマト朝廷と宗像海人族との関係の要となる人物で、興味が尽きません。
今は神功皇后を祀る神社になっていることも、その伝説と合わせて、とてもミステリアスです。
石室は大きく、しかも精巧で、当時の技術に驚かされました。

投稿: 二つ目草 | 2007/08/01 00:02

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