crossroads~岐路に立つ折尾の街
赤か毛さんの『洞海湾通信』で紹介されていた「折尾駅舎・堀川運河を保存する会」第4回シンポジウム
『折尾の顔づくり・街づくり』に参加してきました。
観光案内ボランティアの方、産業考古学の専門家、郷土史家、地域経済史の専門家という4人のパネリストによる報告と、
フロアとの熱いフリーディスカッションが行われました。
大正5年建築のルネッサンス様式の美しい駅舎ですが、折尾駅の価値はこの外観だけにあるのではありません。
天井付近の煉瓦に蒸気機関車の黒い煤の跡が残る立体交差。
当時、1階が筑豊興業鉄道。明治24年8月30日 若松~直方間開業。
2階が九州鉄道。明治24年4月1日博多~門司駅(現、門司港駅)開通。
当初それぞれ少し離れた場所にあったが、連携が悪く不評であったため、
明治28年9月、この場所に立体交差駅として建設された。
現存する日本最古の立体交差駅である。
筑豊興業鉄道は石炭輸送中心で羽振りがよく、制服も立派で開業のセレモニーも派手に行われた。
一方、九州鉄道は、門司港の大陸航路への旅客なども運んでいたが、木綿の制服、セレモニーもなく質素であったらしい。
写真にも分かるように、プラットホームには明治期の石積みが地層のように残っている。
駅の保存方法には、
1.元の外観を模したり、街の雰囲気からデザインされたイメージだけを残し新築する方法。
2.一旦解体し、別の場所に移築する方法。
3.建物ごとズリズリと位置をずらす曳家移設。
4.そのまま残し、新しい施設を併設する方法
があるそうだ。
折尾駅は駅舎だけでなく、立体交差、煉瓦の地下道などに価値があり、
この場所に残すことに意味がある。
さらに、堀川との関係である。
遠賀川と洞海湾の間を結ぶ運河堀川は、初代福岡藩主黒田長政が着工しながら、180年経てようやく開通した。
日清日露戦争の頃は筑豊からの石炭を運ぶ水運の要。
河川の水運では当時遠賀川は全国でも群を抜いてトップの運搬量であった。
それが急速に鉄道による陸運に移っていく。
折尾駅は、そういった時代の交差点にもいた。
以前堀川端を実際に見て思ったことでもあるが、
現在の堀川は分断され、運河としては機能していない。
シンポでは、堀川を再び開通させ、今は暗渠となっている折尾駅前の部分も川を復元して、
安らぎの場にしてはという提案が出された。
この時思い出されたのは韓国ソウルの清渓川(チョンゲチョン)復元事業だった。
年末の韓国大統領選挙で圧勝し、明後日就任する李明博(イミョンバク)が、
2002年のソウル市長選で、高速道路の下の暗渠となっていた清渓川を復元することを公約 に掲げて当選。
450億円を投入し、驚異の早さで復元、清渓川の奇跡と呼ばれる。
堀川にそのまま当てはめることはできないが、一つのモデルとして考えたい。
シンポジウムの会場となった駅前のオリオンプラザ。
週末の午後にもかかわらず、買い物客はまばらでした。
このままでは街が廃れてしまいそうです。
折尾駅舎にしても堀川運河にしても保存には相当な費用がかかることでしょう。
仮に保存できたとしても、それが機能していなければ、経済的にも続かないし、
生きた街の顔が残せたことになりません。
会場には旧若松駅(歴史的建造物でしたがすでに消滅)を復興する運動をされている方や、
解体の危機にある直方駅舎の保存運動をされている方も来られていましたが、
重要文化財に指定され保存に成功している門司港駅やレトロ地区などとも協力して、
北九州近郊の交流の交差駅として機能していけるかどうか。
折尾は今まさに岐路に立たされているようでした。
一市民としては、これらの価値を知り、広めていくことに努めたいと考えています。
●過去の関連記事
日本最古の立体交差駅~折尾駅2006/07/02
堀川散策・下流編~折尾辺り2006/11/05
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コメント
北九州を離れて20年になります。
たまに帰郷するたびに思うのが、ハードウエアの立派さと人の少なさ。
堀川沿いの遊歩道もそうですが、整備した街に人がいません。
人がいないなあと思ったら、枝光のショッピングモールに大量に収容されてました。
人在っての街だから、官民一体でなんとかしなくちゃいけませんね。(建設業だけにお金が落ちても仕方ない)
でも、広島に比べたら、充実度はうらやましい限りです。
投稿: でぱいゆ | 2008/02/24 18:55
>でぱいゆさん
堀川や折尾駅の煉瓦アーチなどを見たり、その歴史を読んだりすると、
当時の人たちが、その恩恵が自分の代では受けられないのにも係わらず、
命がけで街づくりをしていたことがうかがえます。
歴史的町並みの保存は、ただ形だけ残っても、せいぜい張りぼての観光資源にしかならないのですが、
すでに我々の生活に地域性が失われ、車で郊外のショッピングモールに買い物に行くスタイルになってしまっていますから、
なかなか難しいですね。
投稿: 二つ目草 | 2008/02/24 19:59
貴重なものであることは判っていても老朽化をどう防ぐか、
復元・保存しても金を生まなければ事業としての価値がない
とか・・、色んな問題が山積みですが、有識者の方たちと
地域の人たちが連携してなんとか良い方法を考えてほしい
ですね。できれば今のままで保存して欲しいと思います。
・・というのも素人考えなんでしょうね・・。
投稿: wanwanmaru | 2008/02/24 22:17
二つ目草さん、貴重な週末のお時間を使っていただき
そして、さっそくシンポジウムのご報告をくださって
ありがとうございます。
できれば私も駆けつけて、様子を目の当たりにしたかったですが
それも叶いませんでした。
遠くから、駅の存続を見守るのも歯がゆいものです。
しかし、せめてブログ上で何か意思表示や役に立つことができればと思っています。
なんとか、4番目の「その場所に残す方法」が選択できないか・・・
まだ、その道は残っているのでしょうか?
その辺の可能性については「0」ではないのですよね?
投稿: 赤か毛 | 2008/02/25 15:54
貴重なシンポジウムのご報告有難うございます。
かつて"鉄ちゃん"だった私にとって、折尾駅の立体交差は列記とした文化遺産だと思います。
重要文化財に指定され保存に成功している門司港駅やレトロ地区などだけが認められて、折尾駅だけがないがしろにされるのは、はなはだ遺憾であります。
今はインターネットが発達した社会でもあるので、ぜひとも利用して全国の"鉄ちゃん"に呼びかけ署名を集めることにより、維持保存に一役買うことは無理なのでしょうか?
リポートの中にもありますように、駅前のスーパーの客の激減という事実を聞くたびにやるせなさを感じます。
日本人の特性か、ローカル線等廃止の時は、『反対』とかいって、にわかに賑わいますが、もっと日頃から見つめて直して戴きたいと思いますね。
ちなみに私は"若戸渡船を愛する会"に所属して、陰ながら地元の伝統ある交通手段を利用するよう心がけています。
投稿: Re:喜八 | 2008/02/26 19:31
>wanwanmaruさん
折尾駅舎や堀川には公的な資金を投入してでも維持をすべき価値があるという話でしたし、
実際のところ保存に必要な多額の費用の捻出には、「重要文化財」、「歴史まちづくり法案」、
「世界遺産」などといった制度を利用するしか道はないようです。
今の折尾駅周辺は雑然として、外部の者からするとちょっと近寄りがたい感じですし、
堀川も運河としては今はほとんど機能しておらず、瀕死の状態です。
折尾の地元の人だけでなく、北九州市民、日本国民が折尾の街全体の歴史的価値に気付いて、
活かす努力をする必要がありそうです。
>赤か毛さん
ご紹介いただき、どうもありがとうございました。
今回のシンポジウムは参加して本当に良かったと思います。
それは、折尾駅舎や堀川の歴史的意義と稀少性を再認識したというだけでなく、
いろいろな分野の方が保存のために動いていることを知ったことです。
旧若松駅舎や直方駅舎での活動されているグループの存在も初めて知りました。
折尾駅はやはりあの場所にあってこそ意味があるのであって、
明治村のような場所に移設するようなことはすべきではないと思います。
ただ、かつての交通の要所の立体交差であったことがかえって仇となり、
新しい交通システムを作る上での足かせになってしまうことも否めません。
シンポでは立体交差部分はモニュメントとしてその場に残し、
駅舎は新しい駅舎の妨げにならない位置に曳家するという案が提案されました。
>Re:喜八さん
全国の"鉄ちゃん"にはどのように認識されているのでしょうね。
鉄道に詳しい人たちなら、残すための工夫もありそうです。
折尾駅舎にしても堀川にしても、そもそもは、
今ここの再開発計画を立てている人たちにとっては先達の仕事であるはずですから、
残すための努力を、もっとして欲しいのですが。
自分自身が、買い物をするにも郊外のショッピングモールや博多天神
さらにはネットショッピングを利用するばかりの生活です。
若戸渡船の利用を心がけられている点は、私も見習いたいと思います。
投稿: 二つ目草 | 2008/02/27 18:18
>赤か毛さん
トラックバックありがとうございます。
トラックバックしていただいた記事に下記のコメントを投稿しようとしましたが、
画像認証の文字を読み取れず、何度かエラーを出してしまったため、
投稿が失敗に終わってしまいました。
こちらに書き込みますので、可能であれば転記していただけると幸いです。
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堂々とした木ですね。
折尾駅の立体交差は炭坑と鉄の街、九州と大陸、水運と陸運との交差点ですが、
太古の昔からの時間軸や、地下深くから地上に伸びる線も交わっているのですね。
香月市民の森を訪れて、巨木を眺め、交差する流れの大きさを実感したくなりました。
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投稿: 二つ目草 | 2008/03/02 17:28